河岸模型について模型を用いて解説します。
旗本の松平康完(まつだいらやすさだ)が写させた、寛政7年(1795)の御鹿狩の絵図です。 旗本・御家人が12,000人、百姓勢子が72,750人、獲物の移動など様々な職種の人足は12...
寛政7年(1795)3月5日に江戸幕府の11代将軍徳川家斉(いえなり)が、小金原で行った御鹿狩を描いた絵図です。五本木(ごほんぎ・千駄堀)の小屋場、江戸川、船橋、御立場(おたつば)、...
寛政7年(1795)3月5日の11代将軍家斉(いえなり)による御鹿狩(おししがり)を前日から描いた絵巻で、6図からなります。
600石の旗本、三上季寛(みかみすえひろ・1741-1806年)家に伝わった、11代将軍家斉(いえなり)が行った御鹿狩(おししがり)を描いた絵巻です。
『源氏物語』の第17帖「絵合」の巻、第2章第4段の描写を描いた屏風である。 主人公の光源氏の養女・梅壺の女御の御前で、左方(梅壺側。光源氏方。)と右方(弘徽殿の女御側。権中...
『源氏物語』の第24帖「胡蝶」の巻、第1章第1段の描写を描いた屏風である。 主人公の光源氏が自邸で催した管弦の宴の一幕で、唐風(中国風)の船を造らせて女房(高貴な人に仕えて...
表面は、源氏物語の中から左右異なる画題がとられているが、裏面は左右同じ画題、「浜千鳥」が主題であると見られる。 箔押しと思われる光沢の少ない金地は豪華だが落ち着いた印象を与...
籐の腰掛けに坐し、サンダルを履いた右足を踏み台の上にのせ、左足を右足の腿の上で組んでいる。 頭にターバン冠飾をつけ、首飾り、臂釧、腕釧等で身を飾っている。冠飾には化仏がのる...
この浮彫に表された場面はこれまでいくつかの解釈がされてきた。 最初にこの浮彫を紹介した栗田(1988)は、上四段を未比定、最下段を「幼児の布施」とした。 次に小谷...
このレリーフは仏伝の次のような物語の一場面を描いている。 「仏陀は菩提樹の下で悟りに達してから何も食べずに瞑想していた。そこに通りかかった二人の商人が食べ物を差し出したが受...
仏伝に「マガダ国に火神アグニを祀るカーシャパ3兄弟という者が住んでいた。布教の旅の途中、仏陀は火神堂に住む毒龍を退治し、カーシャパ3兄弟とその弟子約千人が仏教に帰依した。」とある。<...
仏陀の生涯を描いた「仏伝図」に「潅水」の場面を表した物がある。 潅水とは釈尊誕生後、その体を浄めるため温冷二種の水を頭からかける儀式である。 北部パキスタンのスワ...